バイクだけではなく自動車も製造していた

創業者の人物像

川崎重工業という、大会社にまで成長したカワサキの始まりは明治11年、西洋歴1878年のことでした。
今の川崎重工業の創業者は、川崎正蔵という人物です。
商人から成りあがり、のちの神戸川崎財閥の創設者ともなる川崎正蔵氏は、日本で最初の私立美術館ともなる「川崎美術館」を作ったことでも知られます。

正蔵氏は薩摩藩と関係が深く、薩摩藩が力を得たのも、ひとえに彼の力が大きかったのです。
貿易により、力を蓄えた薩摩は、地方の一大名ながら幕府に大きな影響を与えます。
一方で、彼がのちの川崎重工業の礎となる「川崎築地造船所」を設立したのは、明治維新後の 1878年のことでした。

カワサキの歴史

前述したように、カワサキの歴史は、一つの造船所から始められました。
会社を設立してわずか7年後、日露戦争の勃発により、造船業は繁忙を極めることになります。
しかし、創業者正蔵氏は後継ぎがなく、同郷の先輩で業の恩人でもあった松方正義の三男、松方幸次郎を後継者に選びます。

その後社長に就任し、鉄道車両/航空機事業/海運業への進出を果たし、国内でも有数の重工業に育てあげます。
その後、いくつかの戦争を経て、日本でも重要視されるほどの軍需産業をリードしていきました。
当時、船舶だけでなく、戦闘機や潜水艦からSLまで作っていたといいますから、日本にとっても重要な企業の一つだったのです。

なぜカワサキは四輪車を造らないだろう

今や川崎重工業は、宇宙産業までに乗り出しているほどで、なんともはや開いた口がふさがらないという感じです。
カタカナのカワサキといえば、やはりオートバイのイメージが強いですよね。
特に大型車部門では、国内でもトップクラスの実績を誇っています。
これまで、様々な事業を手がけたカワサキですが、なぜだか四輪車のうわさはあまり聞きませんよね。

しかし、川崎の歴史をひもとくと、ありました。
年表の中に、1933年「六甲号」自動車の製作販売を開始とあるではないですか。
しかし、実際には作られた部分なのかはよく分かっていません。
しかしその後、何度も自動車作りに挑戦していることもわかったんです。

自動車作りに何度も挑戦していたカワサキ

それは、ちょうど目黒製作所と事業提携を初めて、翌年の1961年のことでした。
このころカワサキは、二輪車需要も安定してきており、次の事業として四輪車を考えていたようです。
「KZ360」というクルマなんですが、SOHC二気筒エンジンの軽自動車を、作ることになったようです。
ところが、マツダR360などのほかのライバル社に、設備と販路で先を越されたと知るや即座に撤退。

しかしそれ以降にも、F1マシンを作ろうとしていたみたいです。
しかし残念ながら、まさかのデモランで動作不良。
その後も幾度か、四輪車に挑戦していたようですが、現在は、オフロード四輪車のATV(バギー)を生産販売しており、現在進行形で四輪車の製造は行われています。

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