カワサキのMotoGP参戦の歴史
カワサキのレース界への参戦の歴史は古く、1968年に開催されたデイトナレースが初めてのグランプリレースとなります。
この初参戦のレースでもカワサキは大きな話題をさらいました。
なんとマシンをグリーンにして登場したのです。
少なくても当時は、レースにおける緑色というのは不運のシンボルとされていました。
そのため、カワサキが不運の緑色をマシンに塗って登場したというのは、レース界に大きな風穴を開けるということを示すものだったわけです。
その後、挑戦者としてカワサキは様々なレースに出ます。
2002年にはMotoGPへの参戦を開始して、スーパーバイク世界選手権から移行したチームで戦うようになります。
最初の数年はライダーの負傷などもあって、あまり良い成績を出せずに終わっています。
その後、2006年くらいから少しずつ表彰台に上がるようになり、チームとしての強さが見えてきます。
カワサキ・モータース・レーシングという新しい体制でチームを作り、2007年から純ワークスチームとして戦うようになります。
ボディーやエンジンの刷新を繰り返しながらチャレンジを続けて、表彰台に上ることもありました。
しかし、その後2009年に世界同時不況などの経済的な影響を大きく受けて、MotoGPチームを解散することになります。
そしてMotoGP向けのマシン開発も終了することになり、完全撤退が決まります。
それからはスーパーバイク選手権に戦いの場を移すことになります。
カワサキが投入してきたマシンについて
カワサキがMotoGPに投入したマシンとしては、やはりカタナが一番ファンにとっては印象的でしょう。
2002年の初参戦もZX-RRで乗り込んでその強さを見せています。
途中でMotoGPのレギュレーションが変更され、エンジン排気量を800ccにダウンさせるなどの調整をしつつも、引き続きZX-RRを使い続けます。
もちろん年ごとにパーツやエンジンチューニングなどは調整してきましたが、基本的な内容は変わることなくZX-RRで参戦してきました。
レース用のマシンでは、エンジンをダウンサイジングして軽量化を図ると共に、重心を移動させて運動性能を高めています。
また、足回りのセッティングもレース仕様となっています。
たとえばブレーキングをしてコーナーに入る時には、荷重が一気にフロントにかかるようにしてトラクションを高める工夫をしています。
逆にコーナー立ち上がりではリアに強く荷重がかかるようにして、トルクを出しやすくセッティングにしています。
そのためカワサキは鋭いコーナリングが見どころで、転倒などのシーンもありましたが、ファンを魅せるレース展開を繰り広げてくれたのです。