戦闘機の飛燕を製造したカワサキ
カワサキと言うとライダーにとってはバイクのイメージが圧倒的に強いですが、工業メーカーという範囲で見ると、川崎重工業を始めとしてさまざまな製品を作っている一大メーカーです。
戦前から戦中にかけては航空機の開発、製造も行っていた企業で、その能力は世界をトップクラスの実力を誇っていました。
第二世界大戦で日本は最初のうち航空戦に優位に立つことができましたが、それは日本が製造する航空機のレベルが非常に高かったからです。
その一つとして、川崎航空機が開発した「飛燕」があります。
飛燕は、当時の航空機産業では画期的な技術を打ち出した機体でした。
航空機エンジンの国内水準は空冷式がメインだったのですが、飛燕は液冷式のエンジンを開発します。
その上、ボディーの幅を狭くして空力特性を高めると共に、機動性を向上させることに成功しています。
それにより、飛燕は当時では世界の中でも圧倒的な戦闘力を持つ、最高スピード時速590km、高度限界11,000mというスペックを誇っていました。
この飛燕は当然第二次世界大戦における日本空軍の主力戦闘機の一つとなり、全体で3,000機ほどが製造されたと言われています。
しかし、戦後が近づくにつれアメリカなどで技術革新が進み、より高性能の戦闘機が開発されることによって次第に撃墜される機体が増えていきます。
ついに終戦を迎えると、スクラップされたりGHQによって川崎航空機というメーカー自体が解体されたりして、日本製の航空機はなくなっていきます。
修復した貴重な機体を公開
こうして、時代を彩った名機は姿を消してしまい、ほとんど現存機体がなくなってしまいました。
そんな中でも、岐阜かかみがはら航空宇宙博物館では、三式戦闘機・飛燕の機体が公開されています。
終戦まであと少しという1944年に製造されたもので、終戦のタイミングにおいては東京・福生飛行場にあったものとされています。
当然、この飛行場も米軍に接収されるのですが、機体はスクラップされることなく保管されていました。
その後、日本航空協会に引き渡され、さまざまな場所で展示されます。
しかし、経年劣化もあり塗装や欠損などが目立っていました。
そこで、2016年に川崎重工が創立から120周年を迎えるという節目で、この再生がなされます。
戦中に活躍していたオリジナルの機体にできるだけ近づける努力が払われ、塗装や欠損パーツなどの修復がなされたのです。
博物館にはさまざまな場所に散って保管されていた飛燕のパーツなども展示されていて、貴重な資料をじっくりと見ることができます。
日本がかつて誇っていた飛行機開発の様子を知ることができますので、ツーリングなどの機会に立ち寄って見学してみると良いでしょう。